期待した効果は出なかった
生活を整えたいと思ったとき、私はいろんな“工夫”を試してきました。朝活、ルーティン化、時短テク、ノートでの管理、収納の見直し…。ネットで見かける「これで人生変わった」みたいな話に惹かれて、真似してみたこともあります。
でも正直、全部がうまくいったわけではありません。
たとえば、私が一時期やっていた「やることリスト(ToDoリスト)」は、期待したほどの効果が出ませんでした。
本当は、ToDoを書けば頭がスッキリして、効率よく動けて、達成感も得られて…そんな未来を想像していました。けれど現実は、
- リストを作ること自体が面倒
- 書いた量に圧倒されて疲れる
- できなかった項目が残って罪悪感になる
こんな感じで、むしろ気持ちが重くなることもありました。
「合わなかったな」と思いながらも、なぜか私はその工夫を完全にはやめませんでした。
不思議ですよね。期待した効果が出なかったのに、今も使っている。今日は、その理由の話です。
でも別の意味で役立っている
私にとってToDoリストは、“効率化ツール”としては微妙でした。やることが見えても、疲れている日は動けないし、予定どおり進まない日も普通にあります。
ただ、完全に役に立たないかと言われると、そうでもなかった。
ToDoリストの一番の効果は、効率ではなく、安心でした。
頭の中って、やることが増えると勝手に膨らみます。実際には5個しかないのに、「たぶん10個くらいある気がする」みたいに感じて、焦りだけが増える。
そこで紙に書くと、「意外とこれだけか」と分かる。
終わらせるためのリストというより、不安を外に出すメモとして役立っていました。
さらに、リストを作っても全部はできない。これは変わらない。
でも、できなかった項目が残るからこそ、「自分はこんなに抱えていたんだな」と気づけるようになりました。
頑張りすぎているサインが見える、という意味で、役に立っていたんです。
完璧を求めなくなった話
昔の私は、工夫を試すときも完璧主義でした。
「これを導入すれば生活が整うはず」
「続ければ成果が出るはず」
「ちゃんと使いこなさなきゃ」
そんなふうに、工夫そのものに期待しすぎていました。
でも、ToDoリストがうまくいかなかったことで、逆に学んだことがあります。
工夫って、成功させるものじゃなくて、自分の暮らしに“少しでも合えば”それで十分なんだ、ということです。
ToDoリストを毎日きっちり運用するのは無理だった。だから私は、使い方を変えました。
- 毎日書かない(必要な日だけ)
- 3つだけ書く(多い日は書かない)
- “やること”より“気になってること”を書く
こうすると、達成のための道具じゃなくて、気持ちを整える道具になります。
完璧に使いこなせなくても、「ちょっと助かる」ならそれでいい。そう思えるようになったのは、大きな変化でした。
今のスタンス
今の私のスタンスは、かなりゆるいです。
工夫は「続けられたら勝ち」でもないし、「効果が出たら正解」でもない。
その日、その時の自分を少しラクにできるなら、それで合格。
うまくいかなかった工夫を使い続けているのは、
- 期待した効果(効率化)は出なかったけど
- 別の効果(安心・整理・自分の負担の見える化)があったから
でした。
そしてもう一つ理由を挙げるなら、「やめる/続ける」の二択じゃなくて、形を変えて残していいと思えるようになったからです。
合わない部分は削る。使える部分だけ残す。
それって、生活全般にも通じる考え方だなと思っています。
まとめ
うまくいかなかった工夫でも、別の意味で役に立つことがあります。
私にとってToDoリストは、効率を上げる道具というより、不安を外に出して安心するためのメモでした。
期待した効果が出ない=失敗、と決めつけなくてもいい。
「自分にとって使える形」に変えて残せば、それはもう十分役に立っています。
完璧を求めない。うまくいかない日があってもOK。
工夫は、生活を助けるためのもの。自分がラクになる形で、ゆるく使っていけばいいと思います。


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